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焼き林檎

まずは私が彼と出会ったところから話すのが筋ではないかと思う。
私の物語なら私の出生から、彼の物語なら彼の出生から話すのが筋だとすれば、私たちの物語を私たちの出会いから話すことは、全く筋が通っているといっていい。
だから、私がそのとき死んでいたことの理由は必要ない。
いや、後々必要になるかもしれないが、それはその時に話せばいいのだ。
物事を焦りすぎるのは良くない。
おっと、前置きが長くなってしまった。
そう、先にも言ったが、物語は私たちの出会いから始まる。
そして、その出会いはこういう風に始まった。

猫というものは、時折、人間の目には何も見えない空間を注視していることがある。
時折、人間の中でも赤ん坊にこの能力を持つものがいるが、大抵は成長の過程でそれを失ってしまう。
何故、そんな話をするのかというと、私が猫に注視されるような存在だったからだ。
私はその時、空気に近い存在だった。
誰も私を見ず、私自身も、何も見ていなかった。
ぼんやりと木に腰掛け、日々の移ろいを目にうつしている存在だったのだ。
私の座っている木は、古い日本家屋に立っていた。
大きな桜の木だったと後に知ったのだが、その時の私はまさに空気のように何にも関心を持っていなかったので、気付いていなかった。
ただ、ぼんやりと木の枝に座り、通りを見ていた。
そう、木の枝は塀の向こうに伸び、私は、塀を乗り越えた枝に座っていたのだ。
そして、その道を通る学生や主婦、サラリーマンや老人、そして犬に自動車なんかをぼんやりと見つめていた。
何を注視しているというわけではなく、私は何処までも虚ろにそれを眺めていた。
時折、猫が私の傍まで寄って来て、一声なくこともあったが、私は反応を返したことがなかった。
人通りが幾分多い昼も、そして全く人通りがない深夜も、私は同じようにその枝に腰を降ろし、平等にその道を眺めていた。
1ヶ月?それとも半年?それとも数年・・・いや、もしかしたら数十年をそうして過ごしていたかもしれない。
何しろ、私は空気のように何にも考えていなかったのでよくわからない。だが、ある時、私のそれまでを一変させるような出来事が起こった。
私はいつもと同じ枝に座り通りを見ていた。
街灯の明かりがつき、人通りのたえた深夜のことだった。
黒猫が一匹通りをこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
目は金色で、スレンダーな猫。
尾を垂直に立てて、まっすぐにこちらに歩いてくる。
目的を持って歩く猫、今の私ならそう表現するところだが、残念ながらその時の私には思考の“し”の字すらなかった。
ぼんやりとその猫を視界に映していただけだ。
だが、まぁ、少し脚色して表現するならば、目的を持って歩く不思議な猫だった。
まるで私を探していたかのようにまっすぐに私の座る枝の下に座り、私を見上げた。
そして、こんばんわとでもいうように一声鳴いた。そうしておいて、そこに前足をそろえて座り込み、私を見上げた。
今の私であれば、一体この猫は何をしているのだろうと思ったところだろうが・・・何度も言うように、私はマネキンのようにただ見つめているだけだった。
そして、やがて、男が近づいてくるのもぼんやりと眺めていた。
男は、猫を見つめながら一直線にやってきた。
平均的な男性よりも背が高く、引き締まった身体をした20代後半から30代くらいの男だ。
猫は男が近づいているのに気付いたのだろう、尻尾を時折、地面にぱたぱたと打ち付けて、早く来るように促しているようにも見えた。
男が猫のすぐ後ろで立ち止まると、猫はようやく来たか、遅かったじゃないかとでもいうように、座ったまま男を振り返り一声鳴いた。
男はそれに、腰をかがめて一つ頭を撫でてやることで応え、次に私をまっすぐに見た。
もちろん、そんなことは今まで無かったので、私は驚くはず・・・なのだが、私はただぼんやりと見つめているだけだった。
男は私をまっすぐに見つめ、品定めでもするように、頭の先からつま先までを見つめた。
それから、彼は私に・・・ではなく、猫のほうに離しかけた。
「アリス、これがお前の片割れか?」
男は低くよく通る声で尋ねる。
すると猫は、男の声に応えるかのように一声鳴いた。
「そうか。」
一つ頷き、男は手を猫に伸ばした。
猫は男の意図を察したようにするりと立ち上がると、男の腕に前足をかけ、男の腕の中に滑り込んだ。
男は腕に猫を抱えたままもう一度姿勢を正すと、猫をあやすようになで、もう一度私を見た。
そして、
「ようやく見つけたぞ。アリス」
といった。
先ほどは猫に向って告げられていたアリスという言葉が、私に投げかけられたことにも私は何も感じなかった。
ただ虚ろな目で彼がすることを眺めていただけだった。
男は猫を両手でかかえると、そこに目に見えない台でもあるように猫を空中で離した。
猫は重力にしたがって落ちる・・・ことはなく、宙に留まっていた。
そして猫は自ら丸くなる。男は猫に片手をかざし、何事かをつぶやくと、猫はますます丸くなって、くるくると回転を始めた。
しばらくして猫は完全に猫の形を失い、まんまるの、直径20センチほどの毛玉になってしまった。
それを男は確かめて、私にもう一度視線を合わせた。
そして、
「アリス」
彼が私を呼んだ。
その言葉は、まっすぐに私に届いた。
これまで何を見ても、何を聞いてもなにも感じなかった私の心に、その言葉だけがたしかに響いた。
私は、虚ろだった目に光が甦るのを確かに感じた。
そして、これまで長く忘れていた瞬きをした。
途端・・・うろこが落ちたとはこのことだろう。
今まで曇ったコンタクトレンズで見ていたような世界が一気に色づいた。
私は、私を取り戻し、私はもう空気でもマネキンでもなくなっていた。
「目が覚めたか?アリス」
私は、私に呼びかけた男を数度瞬きをしながらじっと見つめた。
「どうした?寝ぼけているのか?」
私は小さく頷いた。
私が外界のことに対して意思を表したのは久しぶりのことだった。いや、頷くどころか、指一本動かすことも、瞬き一つしたことがなかったのだから、これはもう、天地がひっくり返るほどの出来事だった。
男は私を見ながら面白そうに目を細め、手を伸ばした。
「一体いつまでそこに座り込んでいる気だ?お前の半身が待っているぞ」
「はん・・しん?」
私は声を発した。
久しぶりに発する声だったはずだが、思ったほどひどくはなかった。
男は私の言葉を聞いて、満足そうに一つ頷く。
「そうだ。お前はお前をずっと探していたんだぞ。さぁ、下りて来い。アリス。」
促すように伸ばされた手を私はじっと見つめ、それからこわごわと今までずっと座っていた枝から身を躍らせた。
私は、いつも見ていた地に足をつけた。が、その前に、私は吸い込まれるように黒い毛玉に飛び込んでいった。
私は、黒い毛玉と一つに解け合い、くるくると回った。
それは、全くすばらしい体験だった。
私は、胎児のように温かくふわふわとした中、陽だまりのようなそこでこんこんと眠り、記憶をさかのぼり、そしてもう一度産み落とされた。
気付けば、私は男の目の前に立っていた。
地に足をつけ、身体を持つものとして・・・。
私は・・・唐突に突きつけられた現実、私は言葉もでないほど驚愕していた。
私は元素から再構成され・・・そして、たった今・・・生まれ変わったのだ。
触れる空気も、踏みしめる地面も、顔に当たる風も、匂いも・・・・全てが新鮮だった。
私は空気を飲み込み、唾を飲み下した。
瞬きをし、小さく指を折った。
小さく首を振り、白い光を放つ街頭を見た。
そして、もう一度視線を男に戻す。
男は私の反応をとても満足そうに微笑んで見ていた。
私は、その彼の瞳に懐かしさのようなものを垣間見、小さく首を傾げた。
彼は私に微笑んだまま、おかえりといった。
私は、ただいまというのもおかしいような気がして、小さくした唇を噛み一つ頷いて見せた。

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