スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

紅蓮灰雨 03

最初は死んでいるのかと思った。
魔物たちの無数の屍の中、大きな剣を墓標のようにつきたて、その前でうつぶせに倒れている黒い甲冑の男。
むせ返るような血の匂い。血を吸って柔らかくなった地面。
屍の山を越え彼に近づくと、ねずみのような小さな動物が慌てたように何処かへと逃げていった。
「アドニス?」
ピクリとも動かない体。
だが膝まずき、口元に当てた手にはかすかな吐息が感じられた。
極限まで消耗した無防備な体。
このまま放っておけば…彼は、望むものを手に入れる事ができるのかもしれない。
だけど…。

 *

「助かったわ、ありがとう」

わざわざ足を運んでくれた医者に礼を言うと、彼女は優しい顔で微笑み首を横に振った。
「セレスさんにはいつもお世話になっていますから…。それより、早くよくなるといいですね」
「そう…ね」
「大きな外傷はありませんし…疲労が主な原因ですから、目が覚めたら無理のない範囲で栄養のあるものを食べさせてあげてください」
「わかったわ」
「それでは…」
頭を下げて帰っていく彼女を見送り、家の中に入ると二階へと上がった。
二階には二部屋あり、一つは私の部屋で、一つは物置。
彼は今私の部屋に寝かせている。
静かに扉を開けると、先程見た時と同じように彼が眠っていた。
黒い硬そうな髪に、精悍そうな顔。眠っているにも関わらず苦悶しているかのように寄せられた眉間の皺と、曲がった口元。
まともな格好をすれば貴族にすら見えるかもしれない相貌をしているが、彼の血気盛んで粗暴な性格ではまず無理だろう。
医者はひどく疲労が溜まっているようだから今日は目を覚まさないかもしれないと言った。
ということは、少なくとも今日のところはこの部屋を彼に明け渡すことになる。
「…とりあえず…私は下のソファで寝ることにしようかしら」
そう呟いた時、ぴくりとアドニスのまぶたが動き、私はハッとした。
緊張に身を硬くする私。
アドニスはかすかに首を動かし、それからゆっくりと目を見開いた。
ぼんやりと天井を見つめるロゼ。
水面を漂うようにゆらりと動いた瞳が、ゆっくりとこちらに向き、ピタリと目があった。
ぼんやりとしているのか、私を見た彼に驚きはなく、ただひたと私を見つめ…

「俺の…俺の、首の手応えを覚えているか…」

かすれた声で一言だけつぶやくとすぐに目を閉じてしまった。

 *

凍りついた私が再び意識を取り戻すまで、おそらく30分はかかっただろう。
ぶるぶると震える右手を必死に抑える左手。
右手に生々しく蘇るのは、彼の首を断ち切った重い手応え。
ゴトンっと首を胴から落とす手応え。
頬に散った熱い飛沫。
笑むように細められたロゼ。
一瞬の空白と、爆発的な歓声、そして悲鳴。

私は今、真っ青な顔をしているに違いない。

「覚えているか?」

― そんなの …

「忘れられるはずがない」

戦場に立つ身として、幾度となく敵を屠ってきた。
その一つ一つが特別で、重いものだった。
だが、彼は…黒刃のアドニスは別格だった。
強かったというのはもちろんある。
この戦場における最大の敵手であったのは間違いない。
まさに黒い疾風、黒い斬撃。
私は嵐のような剣を防ぐのが精一杯。
あれほど身近に死神の存在を感じた瞬間は無かった。
私は死を覚悟した。
私は真の恐怖を知った。

勝てたのは奇跡。

何が私に味方をしてくれたのかはわからない。
きっといくら考えてもわからないだろう。
だけど、一つわかることがある。
彼は、私に負けようなんて、まして殺されようなんてまったくちっとも思っていなかったということ。
だけど、彼は私に討ち取られることを…そう、首を断ち切られる事を、心のそこから切望していたということ。

彼のロゼが重力に従い落ちる瞬間。
そしてそのロゼから光が失せる瞬間。

私は確かに凶鳥の喉を切るような鳴き声を聞いた。

それは喜びか、悲しみか、怒りか…

それとも嘲笑だったのか…。

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。